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武蔵屋酒店のこれまでと未来

最近、いつ酒屋に行きましたか。

近年は日本酒の人気の高まりもあり、豊富な品揃えを売りにした酒屋や、お店で試飲ができる酒屋など色々な酒屋が話題になることも増えました。

一方、大きな流れでみてみると、日本の酒屋の数は1982年、109,621店舗をピークに下り坂となり、1990〜2000年代にかけて酒類販売に関する規制が緩和・撤廃されると、スーパーやコンビニエンスストアの参入が一気に進み、2016年にはピーク時の3分の1以下にあたる、32,233店舗まで減少しています。

この減少は特に小規模な個人商店に著しく、近い将来まちの中で酒屋は見かけなくなるかもしれません。
私たちは今まさに長年の歴史に幕を下ろす酒屋さんの話を聞く機会に恵まれました。その歴史の一端を覗いてみたいと思います。

台東区根岸は、上野台地の北側に位置し、山手線の鶯谷駅、日暮里駅、地下鉄日比谷線の三ノ輪駅の3駅に囲まれた三角形のエリアです。その根岸で親子二代にわたり酒屋を続けてきたのが武蔵屋酒店です。酒をはじめ味噌、醤油、塩、お米などの生活必需品をまちへ届けてきました。

「根岸はお寺が多いですからね、法事にお酒を配達することは結構ありましたよ。トラックなんて使わないから瓶ビールを何ケースも往復して運んでね、なかなか大変でした」

そう話すのは今年80歳になる武蔵屋酒店の店主、林喬一さん。生まれも育ちも根岸の林さんは、さすが商売人というべきか、初対面でも誰とでもすぐ打ち解け、わたしたちにこれまでの商売や根岸のことなどを教えてくれます。

— 武蔵屋酒店の始まりはいつ頃ですか?

うちの親父は神田の酒屋へ10年ほど奉公をして、初めてこの店を持ちました。昭和11年、親父が26歳のときです。ちなみに親父は埼玉(武蔵の国)の出の人間だったので屋号は武蔵屋です。兄弟もいましたけど、私が長男だったので後を継いで二代目になります。

— 昭和11年というと、もう80年以上前ですね。これまではどんな仕事でしたか?

台所にお酒、味噌やらを配達するわけだから、まず相手は奥様方ですね。近所のお得意さんばっかりだから、基本的に掛けで商品を配達して、月末にまとめて集金していました。そのときもただ順番に回るんじゃなくて、「あそこの旦那は給料日が何日だから、後で回ったほうがいい」とかね、機嫌をうかがうわけです。
台所に出入りするぶん、それぞれの家の事情が自ずと見えてくるところはありました。表からだと見えない部分が台所には現れますから。そのぶん観察力っていうのか、ちょっとしたことに気づく力は自然に身についたかもしれません。

— たしかに林さんは相手がどんな人なのかよく見えているような気がします。ところで、以前はお店で角打ち(立ち飲み)をやっていたんですよね?

当時は店の中に場所をつくって、お客さんが軽く立ち飲みできるようにしていましたね。ほとんどの人が飲んでいたのは、焼酎を葡萄や梅のシロップ液で割った、「葡萄割り」と「梅割り」ですね。小さめのグラスの三分の二からほぼ一杯くらいまで焼酎を注ぎ、シロップ液はあくまで色付けする程度という割り方でした。

― それはかなり度数が強そうですね…。

まあ、呑ん兵衛の飲み方ですよ。他には今はもう売ってないけど、焼酎の宝酒造が当時作っていた宝ビールも置いてたね。あとは小袋に入った乾き物のおつまみは、1個20円で置いていました。

― 宝酒造ってビール出していたんですね。初耳です。

林さんの父・金太郎さんがお店に立っていた頃の写真

— 80歳を目前にお店を閉じることに決めた理由はなんでしょうか。

もう歳ですからね、配達しようにも身体がいうことをきかない。かといって、息子はいますが、今はちがう仕事をしていて継ぐ人もいない。そもそも継がせようにも商売として食えないんじゃ仕方がないでしょう。
今はスーパーが方々(ほうぼう)に増えましたからね。スーパーだと同じ商品でも酒屋が問屋から仕入れる値段で、大体2割くらい安く売ってる、そりゃ誰だってスーパーに買いにいきますよ。つまり個人の酒屋が商売として成り立たなくなってるんです。

−たしかに個人の酒屋さんはどんどん減ってきているような感覚があります。

昔は酒屋ももっとありましたよ。でも店をたたんで人に貸したり、コンビニに変わったところが多かったですね。酒屋は元々、酒類免許だけじゃなくタバコの販売免許も持っているところが多かったから、そこに目つけて真っ先に営業の人がやってきました。
個人のお店でも和菓子屋さん、豆腐屋さんみたいに自分で加工するような商売は色々と工夫する余地があるし、贔屓の常連さんもいるから続いていくところはあると思いますね。
酒屋は「うちのアサヒビールはうまい」って言えないところがつらい。どこで買ってもアサヒは、アサヒですから。大きくみるとこれから10年くらいで個人商店はさらに減っていくんじゃないですかね。

「時代の流れ」
一言でいってしまえばそうなのかもしれません。

それでも私たちが林さんと話している間もお酒を買いにくる常連さんがいます。二言三言交わして、慣れた様子で常連さんに商品を手渡す林さん。聞くと、その常連さんはいつも同じ時間にビールを買いにくるのだそうです。

たしかに商売としての個人の酒屋は、時代的にも成り立ちにくくなっています。今後、まちの酒屋には価値がなくなっていくのでしょうか。

まちあかり舎は林さんと知り合ってから話し合いを重ね、「若い人にうまく使ってもらえるなら」と建物を貸してもらえることになりました。
まちあかり舎として根岸で初めてかかわる建物ということで、「キノネアトリエ」というシェアオフィスを運営し、自ら入居して根岸の拠点にしています。まちあかり舎の他、フリーランスの建築デザイン事務所、飲食店などが入居して、ハブとなる場所にしていきたいと思っています。

少しずつ、でも確実に、新しい風が入り始めている武蔵屋酒店。ここには林さんが長年積み重ねてきた人と人のつながりが交差しています。
若い風が入ることで、根岸の新旧のエネルギーが集まる場所になるような予感があります。人と人、人と建物がつながり、あかりが武蔵屋酒店から根岸に広がっていく光景を胸に描いています。

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